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ハイデガーの超-政治――ナチズムとの対決/存在・技術・国家への問い
本, 轟 孝夫
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ペーパーバック : 376ページ ページ
作者 : 轟 孝夫
出版社 : 明石書店 (2020/2/28)
コレクション : 本
ISBN-10 : 4750349569
フォーマット : 単行本
発行日 : 2020/2/28
平均的な顧客フィードバック : 4 5つ星のうち(1人の読者)
ファイル名 : ハイデガーの超-政治-ナチズムとの対決-存在-技術-国家への問い.pdf (サーバー速度23.02 Mbps)
ファイルサイズ : 28.13 MB
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本書は、存在の意味への問いの政治的含意を究明しようと試みる野心的な著作である。そして、著者の結論は、ニヒリズム批判がナチス批判に転化したと考える。①ハイデガーの存在論はナチスとの親近性を有するものであった。「共存在(ミットザイン)」は、社会的存在としての人間を意味するが、これがハイデガーにとっては、「民族」を意味する概念であった。なぜ、「人間社会」でもなければ「人間集団」でもなく、「民族」なのか?ドイツ民族の「命運」が説かれるのはなぜなのか?②ハイデガーの「共存在」は存在神学として提起された。民族の起源は「神話」として語られる。ハイデガーは神話の語りをヘルダーリンの詩に見出だした。その意味では著作『ヘルダーリンの詩作の解明』は重要な文献である。ハイデガーは牧師の家に生まれ、30歳を過ぎた頃、『宗教的生の現象学』(全集第60巻、日本語訳なし、英訳はあり)を著している。そして第二の主著と言われる『哲学への寄与』においては、「四方界」が論じられ、真存在が「神」として明言される。③真存在はドイツ民族の故郷として、古形のザインとして表記されている。存在の忘却は「故郷の喪失」を意味する。後にこの概念は、ハイデガーの近代技術批判として提起されるが、「ゲシュテル(総駆り立て体制、集立態)」は、人間を事物と同様に生産に総動員する近代技術が人間が技術に支配される生産体制によって、人間存在の拠り所を喪失する「故郷の喪失」を招くのであって、原子力時代における人間は「存在の牧人」でなければならないと説くのは、ナチス批判ではなく、ハイデガーによる近代技術批判である。「エアアイクニス(存在を呼び求める促し、性起)」は存在からの目配せ(ウィンク)として語られる。ナチス体制を公然と批判する言論の自由はなかったはずである。であるとすれば、近代技術批判により「存在の危機」を哲学的に論じる以外に、ハイデガーは語る言葉を持たなかったであろう。④となると、ハイデガーはナチス批判をしたのではなく、近代技術批判を展開したと考える方が適しているのではないだろうか?共存在としての「民族」概念とナチスとの親近性は否定すべくもない。フライブルク大学学長就任とナチス入党、それから一年足らずでのナチスからの離反は哲学とは切り離して考えるべき政治的文脈ではないだろうか?また学長としてハイデガーが学生団に対するキャンプを実践し、「学問奉仕」・「国防奉仕」・「国家(民族)奉仕」を求めた事実とその失敗は「全体奉仕=ナチへの奉仕」の無意味さにハイデガー自身が気づいたことになる。学問の府が大学であり、学生団のみならず、教授陣が猛反対したのは当然である。学長としてのハイデガーが試みたのは、ドイツ大学の「ナチ化」以外に何もない。『ドイツ大学の自己主張』ほどハイデガー哲学の「政治化」の失敗と愚行を意味する宣言に他ならない。⑤問われるべきは、なぜハイデガーが近代技術批判を展開したのかということである。「共存在」(民族)から「故郷の喪失」、「存在の牧人」への転回である。とはいえ、ハイデガーが『黒ノート』で述べている「反ユダヤ主義」からナチスとの親近性が指摘されるのは否定すべくもない。この思想はある意味ハイデガー哲学の致命的欠陥である。その点の哲学的解明は、今後の課題でもある。ニヒリズム批判がなぜ「民族」の命運として主張されたのか、まだまだ謎が残されている。本書は大いに参考になる。お勧めの一冊だ。
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